こんばんは、3年の木村です。日差しもすっかり春めき、心地の良い季節となってまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

練習がなくなってしまったこともあり、またしばらく柔道部から離れた日々を送ってまいりました。本日から再開ということでしっかり活動していきます。

率直に申し上げますと、皆様へ伝えたいと感じる「面白い」ことがありません。日誌を書くためにそれらしい主張をつくり上げるのも、やりたくないと感じています。

私の所属する研究会でよく出てくる話として、「面白がり力」というものがあります。言葉の通り、面白がるためには、本人にまず面白がろうという姿勢と「力」が必要だというのです。
また「Feel first, then think.」という言葉も大切にされています。自分の感じることに立脚して考える、というものです。考えることだけを先行させると、脳みそは空想の世界までも、現実ではないどこまででも辿り着いてしまいます。だから自分の感じたことのみに基づいて、しっかりと足場を置くのだという心得です。

この二つと関連した概念が、最近読んだ本に出てまいりました。『「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス』(著:好井裕明)という本で、「普通であること」の権力と暴力性という話だったと思います。
質的研究におけるセンスという文脈でしたが、これは日常生活の過ごし方にも関わると感じました。それによれば、「普通であること」は、理解不能な出来事と出会ったり、何かに違和感を覚えたりするとき、それらを自分の生活世界から「くくり出す」ために使われる装置である、とあります。

「普通の人間」などどこにもいない。一人一人が異なった人生を送る毎日があるだけで、自分が「普通の人間」の立場だとするのは、傍観者だと主張することで自分を防御するようなものである、という話でした。
個人的な感覚では、この話には深く納得します。そして、この「普通であること」のために「くくり出」さない事によって、「面白がり力」「Feel first, then think.」の考え方が効いてくるのでしょう。

日々を「面白がる」ためにも、その過ごし方を意識していきたいなと考えるばかりです。
それでは、失礼いたします。