こんにちは、総合政策学部3年の澤田康太です。
先日、電車内で絵本を読み聞かせしている親子を見かけました。紙媒体の本を使っていて「やっぱり絵本は紙だよなー」とほっこりしました。読んでいた絵本を覗いてみると『裸の王様』でした。渋い突くなと感心しつつ、勝手に話を聞かせていただきました。
おしゃれが大好きな王様に珍しい服を仕立てる男が二人やってきました。彼らは、ふさわしくない地位についている者や、馬鹿な者には見えない、不思議な布を織ることができ、その布で王様のための服を作るのだと言います。しかしそんな布は存在しません。
王様の命で視察に行った家来二人も当然布を見ることはできません。しかし誇りとプライドのある家来は「布が見えなかった」と報告することはできません。そして素晴らしい布だった嘘の報告をしてしまいます。
いよいよ服が完成し、王様はお披露目会のために城下町でパレードを行います。家来や町の人もバカだと思われたくないため、本当のことを言えず見えない服を褒めました。
すると、純粋で仕事についていない子どもが「王様は裸だ!」と本当のことを言ってしまったのです。それをきっかけに人々も王様をバカにし始めました。王様は恥ずかしい思いをしました。
というお話でした。おとぎ話にしてはファンタジー要素がなく、風刺的な作品だと思います。
アンデルセンの童話には人魚姫やおやゆび姫など子供受けしそうな作品はあるのにも関わらず、なぜ裸の王様を読み聞かせたかは気になりますが、21歳の僕には刺さりました。
僕たちはお話ですから第三者目線で『はだかの王様』の世界を見ることができますが、もし自分があの世界の住人なら王様を指摘できるでしょうか。幼い子供の一声を信じて王様をバカにすることができるでしょうか。布が見えず、詐欺師の言うことを出まかせと見抜けるでしょうか。自分の地位が相応しく、バカにではないと貫けるでしょうか。
1837年に出版されたお話とは思えないのほど、現代社会を風刺的に捉えた作品であると思います。
現代社会でも物の価値観を正しく見分ける必要はあります。透明な布を売りつけてくる商人はいませんが、価値のない物に大金を払ってしまう人は少なくはありません。みんなが好きなブランドだから、流行っている服装だから、有名人がオススメしていたから、だから買う。
もちろん悪いことではありませんが、人や企業を鵜呑みにせず、真の価値を見出して買わなければ王様の二の舞です。
なぜ、はだかの王様をすぐに指摘することができなかったのでしょうか。僕は人の心に住まう虚栄心が邪魔をしたんだと思います。バカだと思われたくない、今の地位は間違っていないと言う見栄。しかし虚栄心に取り憑くかれてしまうと真実と現実を直視することができなくなります。自分の愚かな面をも愛せれるほどの器の大きい人間こそが本当の意味で王様なのかもしれません。
『はだかの王様』は一見すると高い地位にあって周囲から批判や反対を受け入れないために、真実が見えなくなった愚かな王の話と思われがちですが、城下町の人も愚かでした。
同調圧力に屈して、合理的な思考判断をせずに生きています。童話ですから子供の一声を待ち受けましたが、これが現代社会なら誰も子供の声には耳を傾けないでしょう。また世間の目を気にして言いたいことを言えないのは日本の社会の大きな特徴でもあります。ヨーロッパの昔の童話が今でも通用するなんて、人間は進化してないなと感じますが、簡単に成長できないのも人間社会でもあります。
電車内で盗み聞きした読み聞かせから、ここまで現代社会について考えるとは思いもしませんが、非常にいい機会を得ることができました。
自分の考えも上手くまとまっておらず、非常に読み辛かったとは思いましが、ご精読いただきありがとうございました。
僕も上級生として、虚栄心に拘らず、同調圧力に屈せず、本当に自分に必要なものを選んで、自分の欠点を愛せるような大きな人間になれるように精進を続けます。