失礼致します。法学部法律学科3年の江波戸水紀です。

 

今日は、ある1人の男の話をしたいと思います。

 

ある日、僕は彼に「なぜそこまで柔道が好きなのか」と質問しました。 

彼の柔道に取り組む際の膨大な熱量はどこから来るのか、知りたかったからです。

 

そうしたら、彼は「分からない」と答えました。「これだけ負けても好きなのだから、自分は柔道が好きに違いない」と。

そこで僕は考えました。彼はどうして、好きな理由を言語化できないのだろうと。

 

脳は、大きく分けると、2つに分けることができます。それは、大脳新皮質と大脳辺縁系です。

大脳新皮質は、合理的な思考や、言語を司りますが、意思決定はしません。(◯言語 ×意思決定)

一方、大脳辺縁系は、ヒトの感情・信頼・忠誠心を操り、また、ヒトの行動を司りますが、言語能力はありません(×言語 ◯意思決定)

例えば、あらゆる事実やデータを伝えても、

「細かい事実は分かったよ!だけど、どうも納得感が得られないよ」

という状態になったことはありませんか。

どうして、”感”なのでしょうか。

それは、意思決定する脳が、言語を扱えないからです。

 

つまり、ヒトが真に、ある物事に感情の面から、心の底から共感してその意思決定をしている場合、それは言葉では表せないのです。

だから、彼は、「なんで好きか分からない」という状態なのだと思います。

それは、彼が適当にやっている訳ではなく、むしろその全く逆で、柔道に対してに彼が心の底から惚れていることの証拠であり、かつそのことに本気で取り組んでいる証拠なのです。

 

ある有名なお話で締めたいと思います。

「求む隊員。至難の旅。わずかな報酬。極寒。暗黒の日々。絶えざる危険。生還の保障はない。

ただし、成功の暁には、名誉と賞賛を得る。」

これは、南極探検隊員を募集した時の広告です。これによって、応募者は殺到し、結局5000人の規模で南極探検に出発したとされています。

お金は殆どもらえない、生きて帰れるかも分からない、流行りの言葉で言えば、”コスパ”は最悪な旅、それでもこの広告に心が惹かれる人がいる。

それは、人は意思決定をする際に動かされる感情を、言語化する能力がないからです。

 

これこれこういうメリットがあるから柔道をする、それももちろん大切かもしれません。

しかし、柔道が好きだ、なんでか分かんないけど好きだ、その気持ちによって人は柔道に、全ての労力を注ぎ、結果最高のアウトプットを出すのだと思います。

その気持ちを忘れず、まずは早慶戦、そして引退まで一年強取り組めればと思います。

 

 

注.なぜ大脳辺縁系から意思決定をした場合、大脳新皮質から意思決定をしている人よりも、格段に多い労力を注ぐのかの説明は飛ばしています。