5時のチャイムで目が覚めて、何をする気にもなれなくて、オレンジと青と紫の淡い光に誘われてベランダに寝巻きで出る遅い朝。ベランダの外には世界が鮮やかだったあの頃が鮮明ですが、いつのまにか景色は枯れて大人になってしまった気がします。湿ったようで爽やかな不思議な匂い、夜は近いようです。

 

倫理学の分野に「利己主義」と「利他主義」という相反する考え方があります。(ここでは功利主義は考えません。)自分の幸福こそが幸せなのか、それとも他人の幸福が自分の幸せであるのか、極端に言えばそんなところです。人に対する優しさは本当に人の為なのか、偽善は存在するのか、そんな議論もありますがここで僕が引っかかったのは、人は己の思考や行動の源泉を果たして正確に把握しているのか、という点です。

 

  • ジェットコースターが苦手なa君が友達に連れられて遊園地に遊びに行きました。a君は躊躇いながらもジェットコースターに乗り、帰りには「楽しかった!」と笑顔を見せる程に満足気な表情でした。

 

  • bさんの苦手だった親戚の叔父さんがある日亡くなりました。お葬式では友達からたくさんの同情を受け、彼女はみんなの前で涙を流してしまいました。

 

さて、どちらの例にも違和感を感じた人がいるのではないでしょうか。みんなと遊んで笑顔を見せる自分、身内が亡くなって涙を流す自分を他人の働きかけによって促されたことで生じた行動のようにも感じられるのです。自律的でありながら他律的にも見える、当の本人でさえ自分の行動の真の目的について不明瞭で無自覚なようで、他人の行動に対して薄っぺらいなどと安易に侮辱することがいかに危険であることがわかります。己の行動原理など「誰も知らぬ」といったところでしょうか。

 

そんな不安定な優しさが蔓延る世界で「疑い」は一層強くなります。

 

  • c君とdさんは結婚して1年になりますがc君にはeさんという5年を共にした前妻がいました。dさんはある日感染病を患ってしまい、根拠もなく夫から感染したのではないかと疑い、前妻へ嫉妬の念を募らせて自分のことをまるで娼婦のようだといいます。それに対してc君は「むりがねえよ、わかるさ。」と一言。そんな夫の慰めに対しdさんは安心と嬉しさを覚えたのです。

 

dさんが本当に嫉妬し、心配するべきなのは、一方的に改心させようと叱ったりせずにただ寄り添うような、他の女性から学んだような夫の慰めの一言に対してなのですが、彼女はその本質に気付くことなくむしろ幸福に捉えているのです。また、信じるべき相手が潔白であっても疑うことで傷つけてしまう可能性もあるでしょう。

人の優しさや好意に対しては、理由を詮索したり疑うことなく素直に感謝して受け取ることが1番お互いの幸せにつながるのかも知れません。

 

まあ何が言いたいかというとですね、コロナウイルスが恋の病じゃなくてよかったなあって思います、ほんとです。だって誰だって人の伝言なんか絶対に伝えやしないんだから。灰色と黒と青色の夜は魔女の乳首みたいに冷たくなってきました。僕がホールデンならジェーンに電話したい気分です。今日はここら辺で失礼致します。