慶應大学に入学して、早1年。ビルが立ち並び人が多すぎる街並みを歩くことが当たり前になり、ランチに1000円を出すことに違和感を感じなくなってきてしまいました。1年ってあっという間ですね、大学生活本当に早い、早すぎる。

こんにちは。総合政策学部2年の坪根和海です。

最近、現役の先輩方、OB、OGの先輩方に部員日誌についての反応をいただけます。さらには、慶應柔道以外の方にも読んでいただいているようで、、本当に嬉しく思います。先月書いたかき氷の話を読んでくださり、わざわざジャリジャリのかき氷を探しに行ってくださった方がいたというお話を聞きました。いつも読んでくださりありがとうございます。

「題名の漢字が読めない」という声も入っております。題名は花の名前になっています。本文と合う内容、または自身の心境を花言葉と照らし合わせ想いをのせ、題名にしています。
題名に載っている花言葉の意味を調べて、負の花言葉だったときはそっとしておいてください。きっと失恋したりしているのでしょう笑

多少恥ずかしくはありますが、日誌に反応してくださることはとても嬉しいです。今後とも私らしさを出しながら書いていきますので、感想、アドバイスもらえると幸いです。

さて、本日のテーマは「頑張るとは?知ることと理解することの違い」について書いていこうと思います。先に言います。きっと長い文章になってしまうと思います。私らしくはないですが今日は真剣に、少し熱い話をさせてください。暑すぎる夏もそろそろ終わりを迎え、涼しい秋の風も吹いてきていますのでお許しください。

9月10日。全日本ジュニアの試合がありました。この試合で私が尊敬する大好きな選手の個人戦高校最後の試合が終わりました。日本1を目指し親元を離れ福岡を飛び出して3年目。彼が目指していた日本1にはなれませんでした。それでも、インターハイ2位、全日本ジュニア5位と本当に素晴らしい姿を見せてくれた。なかなか勝てない時期、怪我に苦しみながらも最後まで勝つことにこだわり、人が見てないところでも努力をする姿は本当にかっこよかったです。

彼が2年生の冬帰省期間。久々に家族が揃うとワクワクしながら実家に帰りましたが、彼は神奈川から帰ってきませんでした。「正月くらい、家族で過ごそうよ」私はそう思いましたが、彼は年末年始練習している場所を探し、出稽古に行っていました。
全国で勝負をする。勝つ」ということはここまでの覚悟と努力が必要なんだなと。

毎日の柔道ノート。試合で勝つための日頃の準備とプラン作成。試合会場でのゴミを拾い、トイレのスリッパを並べる。運を引き寄せるための日頃の行動。

ここまでしても全国で優勝する、勝負をすることは難しいんだと彼の試合を通じて感じました。最後の試合が終わり、家族の前で流した涙。悔しいんだろうなとは感じるものの、私には彼の気持ちを理解してあげることはできません。だって私は彼ほどの努力はしてきていないため、彼を理解することは失礼だと思うからです。

ジュニアではもう一人第二の弟のような存在のこれまた尊敬するとこばかりの後輩が出場していました。大学から親元を離れ寮生活しながら強豪校で毎日努力をする彼は、1度日本一に輝いています。今年こそは!と望んだジュニア。彼もまた目標を達成することができませんでした。周りからの期待、なれない生活と悩むことも多いと話をしてくれます。「そっか」と話は聞いてあげれますが、正直なんて声をかけてあげればいいのか私にはわかりませんし、彼の気持ちを理解してあげることも不可能です。自分は日本1に輝いたことはないため、日本1というプレッシャーの中戦うことの大変さなんて絶対にわかりません。

先ほども言いましたが、その気持ちを理解することは相手に失礼だと私は思うからです。
2人を見ていると、全国に出たい。勝負がしたい。と軽々しくは言えないなと。

逆にいえば、この2人の努力を見ているからこそ、簡単に試合で勝ちたい。全国で勝負したいという人に対して多少怒りすら湧きます。そんな簡単な世界ではないよ。全国で勝負するって。

私自身も小、中、高と全国の舞台で勝負をし、勝つために日々生活してきました。毎日4部連、自主練を行い、ひたすらに、がむしゃらに練習をしてもやはり取れないのが日本1。日本1の難しさは日本1を取った人にしかわからないし、全国で勝つことは勝ってきた人にしかわからない。

勉強においてもやってきた人にしかわからない大変さがあるだろうし、一般受験の大変さなんて私は経験したこともないから正直理解なんてできません。

人が頑張っていることを知ることはできても、その人の頑張りを理解できるとは私は到底思えません。よく、「お前は頑張っている。お前は頑張っていない。」という言葉を聞きますが、それは何を基準で言っていますか?目に見えている頑張りがその人本来の頑張りかはわかりませんよね?強い人は見せつけの努力はしません。隠れて努力できる人が本当の強い人だと私は思っています。

それに、柔道という小さなコミュニティだけでの頑張りが評価されるのでしょうか?それならば、文武両道という言葉の価値下がりますよね?色々な面、例えば日々の授業とか研究会、バイトとかボランティアとか、柔道外での頑張りはきっと柔道にも生きてきます。私はそうやって勝負してきましたから。学校行事、体育会のブロック長、合唱コンでのピアノ伴奏、課外でのボランティア活動をしながら柔道をしてきました。関係ないようですが、私の勝利には全ての経験が絡み合い、そこでの学びが生かされたものだと思っています。

1つのことを頑張ることが悪いというわけではありません。むしろ、1つのことに夢中になり頑張れることは素敵です。しかし、その小さなコミュニティでの努力が全てではないということも理解する必要があると思います。

そして、そこでの苦労や努力はその人自身にしか分からない。理解できないということ。

だからこそ、その頑張りを認めてもらおうと思う必要はないし、それを望んではいけないんだと思います。頑張れ!て応援してくれる人を大事にすればいい。身近に応援してくれる人がいるって幸せですね。 いつも応援ありがとう。

PS

私の曲がった性格を部員日誌で褒めてくれる優しい同期、酒井。真反対の性格の私たちですが、真反対だからこそ学ぶこと感じることも多いです。これからもよろしく、飲みにも行こうね。ほろ酔い程度に笑