こんにちは。文学部2年の岡崎です。

1年の締めくくりのイベントである早慶戦が終わりました。結果は、負けました。

試合場の真ん中でにこやかに集合写真を撮る早稲田柔道部の面々を見て。端っこで項垂れる選手達を見て。選手に選ばれず試合中タイマーのボタンを押すだけの私は、悔しいだとか以前に、とにかく惨めでした。

部内戦の結果の序列は、昨年と変わらず26番目で、補欠にあと一つ足らず。1年生達が、まだ手元に持ってすらいないライン入りの道着を着て活躍していました。歓声を浴びていました。

去年私と同じく早慶戦に出られなかった同期の伊藤は、八面六臂の活躍を果たしました。

伊藤が活躍しているのを見て、私は本当のところ、嬉しくて泣きそうになりました。あれだけ強いのに試合でなかなか結果の出ない伊藤が発奮する姿を見て、少なからず感動しました。

けれど、それ以上に惨めでした。

結局、何も変わってないなぁ、と思いました。

そしてそれに対しそこまで悲観していないのもまた惨めでした。

あまり夢を見なくなった、というのが正しいでしょうか。

多分、私は柔道はそこまで強くなれない人間なのだと、最近理解しました。

何故そう思ったのか、という問いに対しては端的に言えば自分の心の弱さから目をそらす事ができなくなってしまった、ということのみです。

自分なりに工夫しても、いくら試行錯誤しても、いつまで経っても同期に、先輩に、後輩に勝てない。手も足も出ない。歯が立たない。私の普段の練習を表す言い回しは探せばいくらでも出てきます。

最近、柔道をしていると死にたくなります。消えてしまいたいと思ってしまいます。中途半端に実力が上がってしまったせいで、力の差、というものをより明確に感じるようになったからです。

けれど、その原因に他者が絡むことは全くなく、ひとえに私がどこかで妥協しているのみなのです。そしてそれを理解できてしまっているのです。

 

それでも、柔道をやめるという選択肢はありません。できるわけがありません。

僕自身、柔道自体に救われたこともありますし、柔道を通した、様々な人の支えによって今ここに立っています。

家族、恩師、仲間の恩に報いる為にも、柔道部は、やめる訳には行かないのです。

だから、毎日死にたいと、消えてしまいたいと思いながらも自分より小さく、自分の倍は強い後輩や尊敬すべき強い同期、先輩と柔道をするしかありません。いつの日か、本当に来るか分からない講道館の大道場に道着を着て立つ日を夢見て。

なんて生き地獄なんだろう、と思います。

いっそ世界ごと消えてしまえば何も悩まずに済んで楽だな、と思ってしまうこともあります。

ですが。恐らく僕より強い連中はずっと昔から抱いている感情だろうと思います。いつ報われるかも分からずがむしゃらに努力を続ける度胸も、根気も、何も僕はありませんでした。

そういった、辛さと向き合うことに気付くのが、大分遅かったのだと思います。

 

これは決して悲観的な話ではありません。

ただの私の中の契機であるだけの話です。

毎日、死にたいと思うくらいボコボコにされても、どうせ次の日には道着を着ているんでしょうから。

ともかく、頑張る頑張らないではなく、逃げてはいけないと思います。この、柔道人生が終わるまで続くであろう苦しみから。