こんにちは、1年の高です!

クリスマスまであと1ヶ月のはずなのですが並木の銀杏が暖かみを感じる程美しく色づいているので季節感がよくわからない今日この頃です。寒さを感じようと昨夜散歩しながらふと考えたことを文字にさせていただこうと思います。

突然ですが「意味」のないことってあるんでしょうか。「この世に無意味なことなんてない!」と言う人がいれば、「そんな無意味なことをするな!」と言う人もいて、そんなことを考えている時間が無意味なのではないかとすら感じてしまいます。今まであまり考えたことがありませんでしたが、「意味がわからない」と感じた経験は皆さんも少なからずあるのではないでしょうか。

僕の中の意味がわからなかった界代表は宮沢賢治さんの短編童話「やまなし」です。ご存知の方もいるのではと思いますが、初めて読んだ当時小学生の僕には正直ダントツで意味がわかりませんでした。具体的に何がわからないのか、まず題名の意味がわかりません。内容もいまいちわからず、登場する「クラムボン」や「やまなし」が一体何者なのかもさっぱりで、何を伝えたいのかを全く汲み取れませんでした。それでも当時はあるだけの知識を持って「クラムボンは泡のことなんじゃないかな」「やまなしに意味はないんじゃないかな」なんて考えていたわけです。僕はこれが「意味」の本質な気がします。「それ」自体に意味があるのかないのか、もし意味がなくても誰かが意味を見い出すことで意味を持つ、ということです。

小説や映画はもちろん歌の歌詞やタイトルにもきっと何かしらの意味があって、それを求めて僕らは自分なりの解釈やロマンを投影します。自己ロマンの投影といった点に関しては恋(「恋の哲学」より)に似ているような気がして、世界は恋で溢れているのかも知れません。(意味がわからないと思いますが許してください。)

多くのことの意味もネットで検索すればわかってしまう時代ですので、意味がわからない、ということを解決することは容易でしょう。ですが、誰かがつくったなにかや意味のないものに自分なりの意味をつけることで輝かせる、というのもとても素敵なことではないかなと思いました。

長々とすみません。日誌のタイトルにも僕なりの意味をつけました。是非皆さんなりの意味も見い出していただけたら嬉しいです。

おわり