暖かい日が続き春の訪れを全身で実感するこの頃、今年も出会いと別れに一喜一憂する季節がやってきました。この季節になると家族や友人と別れ慶應に入学した日のことを思い出します。松永蓮太郎です。

この季節、自身が新天地にやってきた日のことは鮮明に覚えています。頼る人もいない、知っている場所もない、過去の経歴は全て捨ててのリスタート。不安などという言葉で片付けられるほど甘い状況ではなく、あの恐怖はこれから先の人生で忘れようにも忘れられそうにありません。皆さんは春の日に何を思い出しますか?

さて、あまり過去の話をしたり思い出すことは好まないのですが自身の過去回想が終わったところで本題に入りましょう。

「周りと自分を比べるな」、「最大の敵は自分自身だ」僕はこの類の言葉が大嫌いです。

周りと比べなきゃどうやって自身のアイデンティティを証明できるのか?自分に勝って勝負に負け続けたらそれは勝利と呼べるのか?

存在意義について僕たちは常にナイーブです。

ある集団において何か抜きん出た武器がなければそれはただの置き物、マスコットと化してしまいます。マスコットになれればまだ良い方でしょうか。世間では役割を失った置き物を無能と呼びます。

まるで筆者が何か超スペシャルな「何か」を持っている最高指導者カイロ・レンならぬカイロ・レンタロウかのような口振りで持論を展開していますが全くもって違います。むしろ僕自身も己の存在意義について悩まざるを得ない日々を過ごしており、未来に目をやるとそれはさらに深刻な問題となっていることに気付かされます。

少々耳の痛くなる話題となってしまいましたが社会ではこの感覚が当たり前のように共有されています。無能は淘汰され、優れた者だけが日の目を浴びる社会。だからこそ日の目を浴びた者のみが口にすることのできる「周りと自分を比べるな」、「最大の敵は自分自身だ」などという言葉が嫌いです。さしずめ強制的に鬼にされてしまった禰豆子が鬼殺隊から一方的に人間の在り方を説かれ頸を切られるくらい暴力的ではないでしょうか。成りあがった人格者の語る精神論ほど気に入らないものはありません。

ここで一つ実験をしてみましょう。

ーあなたはある企業の面接に来ています。そこであなたは問われました。あなたの強みはなんですか?この企業でどんな唯一性のある仕事ができますか?他人と比較せずに一つ以上挙げてください。ー

読者の方はどのように答えるでしょうか?考えてみてください。

さて、答え合わせをしていきましょう。

答えは

沈黙!!それが正しい答えなんだbyクラピカ

タイピングをものすごい速度でできる?凡人のタイピングのスピードと比較しての「速い」だから不可。英語が流暢に喋れる?喋れない人を比較対象にしているから不可。

あら不思議。絶対的な存在意義を証明することができないように思えてきました。

その通り。私たちは単体では存在意義なんて見つけられることができないのです。

このとおり、社会における存在意義を証明しようとした時にどうしても逃れることのできない争いが起きてしまいます。

存在意義を自問するあまりに過去に逃走する輩も現れます。過去に目を瞑れば苦しくはないけど現状の打破には繋がりません。

現代社会においてしばしば嫌われがちなのがこの言葉。「最近の若い者は」。この言葉の悪質なところが比較の対象のベクトルが過去を向いていること。今となっては比べようもない二つを個人的な基準で比較した後、対象を乏し当人の存在意義への懐疑をかけてくる点でしょう。このような点で私は「過去の話が嫌い」です。あの時はああだった、こうだった、ああしてたからこうしろだの、この類の言葉を聞く度に、この人は現状に満足していないんだなぁ、存在証明頑張って〜と思ってしまいます。

人間にはどうしても何かと何かを比較したがる癖がある以上、過去と現在を比較したがるのは性といえるかもしれません。そんなことはない!と主張する人に向けても、雌雄を決するという言葉そのものが生き物の比較、闘争に関するアンチテーゼとなっていると言うことができます。

そんな残酷な闘争が繰り広げられる世の中でつい最近個人的にアイデンティティを見失わない方法を考えてみました。それが現状と向き合い続けること。これから一層AIの発展などにより職業飽和が進み存在意義が問われるようになってくるにつれ、先述したように過去にベクトルを向けた比較をする悪質な輩と被害者が多くなってきます。その中で過去に逃げるのではなく、現状に目を向けることこそが確固たる自分を主張し、抜きん出た自分を表現するとっておきの方法なのではないでしょうか。

これから先、否、明日にでも現在の自分に満足せず周りを巻き込んで過去に引きずり込もうとするエナジーヴァンパイアが現れるかもしれません。そいつらは決まってこう言うのです。お前よりあいつが優れている、あいつらはすごかった、と。そんな輩に僕はこう言ってやるのです。「今年も気持ちの良い春がきたなぁ」と。

暖かくて幸せだった今日さえ明日過去に変わります。切なさに負けないよう新生活の新環境下でもバリバリ頑張っていきましょう!!

拙い文章でしたが、ご精読ありがとうございました。