みなさま、おはようございます。総合政策学部4年マネージャーの和田奈那です。
みなさんご存知の通り、今回で部員日誌の更新が最後となります。
最後だからこそ素直に、嘘がないように、4年間の思い出や気持ちを綴りたいなと思います。ただ今まで以上に悩みながら日誌を書くので、今回はいつも以上に拙い文章になってしまうかもしれませんが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

「人生最後の学生生活だろうし、絶対部活に入りたい。でも、留学したいし、課外活動も頑張りたい!」

 

わがままなことを言いながら訪れた日吉道場。
夢ややりたいことをたくさん抱えながら来てしまったから、マネージャーの先輩方との(私からの一方的な)話は尽きませんでした。
それでも、入部するかどうかも分からない私に、

「いいね、すごいね、やりたいことここならできるよ、応援してる。」と、

微笑んで、穏やかに頷いて、そうしてただただ話を聞いてくれる先輩方。
「あ、この人たちが好きだな。」と直感的に思いました。

その思いは、乱取りをしている選手の方々を見て、より強いものとなりました。
男女関係なく、和気藹々と、そして熱心に練習に取り組む選手を見て、

「ああ、たくさん部活見学をしたけれど、ここがいちばん、人が温かいな。この部活に入りたい。」

そう思いました。

 

「柔道部のマネージャーになる!」

そう伝えたとき、みんなには驚かれたなあ。
「サッカー部のマネージャーにならなかったのか?!」と言う、高校時代の恩師であるサッカー部の顧問。

「奈那はもっと別の活動をするかと思っていたよ。」と笑う、中学時代の校長。

「え、なんで柔道部なの??」と驚く家族と友人たち。

私もまさか柔道部を選ぶなんて、入学した当初1ミリも思いませんでしたが、それでもやっぱり、
「そうだよね。でもどの部活よりも素敵な人たちがいるように感じた。」
これが私の入部した時の素直な想いでした。

 

そんなわけで入部した柔道部。

 

1年生の頃は、とにかく仕事を覚えることに必死でした。
高校でサッカー部のマネージャーをしていたときとは活動内容が大きく違い、毎日毎日書類を作ったり、お礼状を書いたり、ホームページの情報を更新したり。裏方作業に徹した日々。
もともと体を動かすことが大好きな私は、少し物足りなさを感じながら、
それでも大好きなマネージャーの先輩方・同期に会えるのが嬉しくて、十分に部活に入った意味を感じていました。

そんなある日ミスを犯しました。
当時の私は、どうしても杉村と飯田の見分けがつかなかったのです。
道場の入り口で、おそらく杉村に対して、「りゅうせい!」と割と大きめの声をかけました。今思えば全くの別人です。
あの時、2人は笑って許してくれたような気がするけど、その瞬間、私の中で、せめて同期だけでも急いで名前と顔を覚えなくてはという焦りが生じました。
でも今思うと、それほど同期との距離は遠く離れていました。もちろん、話しかけに行けない私にもコミュニケーション不足を生じさせる原因が大いにありました。

それでも、部活を休まず一生懸命マネージャー業務をしていても、裏でネガティブな意見を言われていることを知ったとき、涙が止まらずに、

「みんなのために仕事をしているのに、ありがたく思わないのはまだ良いけれど、陰口を言うのはあんまりじゃないか。私、選択間違えちゃったのかな。あー辞めよう、この部活。」

そう思いました。

同期には伝えてる(?)かもしれませんが、1年生の頃の私は、みんなに悪口を言われていると思っていたし、言ってる人も必ずいたし、だからみんなのことを敵だと思っていて、みんなを見ても仲間なんて言葉は脳をかすりもしませんでした。
そして、これが私の「第一次・部活辞めてやろう期」でした。この「第一次・部活辞めてやろう期」は同期に涙を見られたことで(ちゃんと話し合いをしました)、すぐに終焉を迎えました。

この書き方でもう気づいた方もいらっしゃると思いますが、この私に取ってはかなり深刻な「部活辞めてやろう期」は4年間の中で2度訪れます。

 

2年生になり、偉大で大好きな4年生が引退された寂しさから抜け出せないままいる中、あっというまに新入生が入部する季節が訪れました。
後輩というのは、いつだって可愛いものです。粒ぞろいの選手が入部してくれたことも大変嬉しかったですが、やはり何よりも、マネージャーの後輩ができたことの安堵感と嬉しさは、思い返すと今でも心を温めてくれます。
後輩ができたことで、

「寂しさを引きずってる暇なんてない、先輩らしさを活動を通して得て示していかなければ。」という思いと、

「後輩に見られているのだから、今まで以上に努力して同期との関係性を築くぞ。」という思いが湧いてきました。

そう意気込んでいた矢先、コロナが世界中に蔓延しました。
こればかりはもう、命が何よりも大切だから、と思う他ありませんでした。
思い出がもっと作れたのになと今でも正直思ってしまいます。
だけれど、良いこともありました。
時間に追われて蔑ろにしていた自分と向き合う時間。その向き合う時間が一気に増え、部活が休みとなり離れているときでも、部活に対する前向きな想いが自分の中にちゃんと残っていることを、今一度確かめることができました。
2年生の期間は、大好きな佐野さん、若辰さんにたくさん甘えながら徐々に部活へのポジティブな感情を膨らませていきました。

 

3年生になってから、生活の中に当たり前にあった部活がようやく戻ってきました。会話を通して同期をちょっとずつちょっとずつ知ることができ始め(かなり遅いですが)、可愛いと思える後輩たちもさらに増え、先輩方とも少しずつだけれど距離が縮まり、ふとしたときに、
「あ、部活楽しいな。」と、感じれるようになりました。

そう感じることができるようになったのは、周囲の方々のおかげでした。

ご飯や遊びに連れて行ってくださったり、相談に乗ってくださったりするとても頼もしい先輩方、
遊びに混ぜてくれたり、辛い時に話を聞いて支えてくれる同期、
私がぼーっとしていても笑顔で挨拶をしてくれる元気な後輩たち。
ちゃんと心から、入部時に部や人に対して感じていた温かい気持ちを抱くことができました。

 

そして4年生。
1番悩んで心をすり減らし、必死に考えて、できるかぎり行動した年でした。そして「第二次・部活辞めてやろう期」に入った年でもありました。部活動のマネージャーだと考えることもあるかもしれない題。

「マネージャーの存在意義とは」

私の同期は本当に根っこの部分が優しいし、考えてないように見える人でも深く深く部のことを、みんなのことを考えてくれています。その優しさを十分に理解してるつもりでした。だけれど、代交代をしてから話し合いがうまくいかず対立し、「総力戦」を掲げているのに分裂している状況。やっと同期を大好きになれたはずなのに、好きとはっきり言えない自分。彼らを素直に応援できないかもしれないと思ってしまった時から、マネージャーの、私自身の存在意義が段々と分からなくなってしまったのです。4年生になるまでの期間、この題を考えたことは幾度もありました。しかし、その時の考えはそこまで深刻ではなく、答えが見つからなくても「部活ってそういうもんだよな。」「先輩がいるからとりあえずついていこう。」と、他に頼れるもの、好きになれるものを必死に見つけてその考えをうやむやにしてきました。答えを見つけられないでここまできてしまったから、ツケが回ったのでしょうか。
この題に対する考えはひとりひとり違っていて、正解も不正解もないはずなのに、

「褒められることも、評価されることもない。業務の頑張りが選手の勝利に直結することもない。もっと言ってしまえば、別に部活以外でも仕事の能力は培えるし、ここにいるのは自分じゃなくてもいい。何より、私のマネージャーを続けるモチベーションだった同期への信頼や愛が不確かな状態になってしまった。じゃあ何のため、誰のためにここに居続けてるんだろう。居ても居なくても変わらない存在に思えるな、部活やめようかな。」

そのような暗い考えの中にズブズブと沈んでいきました。
それからしばらくは、4年生だから泣き言は言えないし頼れる先輩ももういない、とにかく後輩をまとめて引っ張っていかなくてはならないという責任感だけが私の原動力となり、笑顔を貼り付けて、部活に参加するようになりました。

そんな泥沼の中にいた時に、1人の後輩マネージャーが私に、

「奈那さんみたいな先輩になろうねって話してたんです。」と伝えてくれました。

その時、

「ああ。そんなふうに思ってくれている子がひとりでもいてくれたのなら、私のやってきたことは無駄じゃなかったかもなあ。」

と、4年間の全てが報われたような気持ちになりました。その言葉でどれほど救われたか。

その言葉を聞いて荒んでいた心が平静を取り戻した時、ここまで辞めずに踏ん張ってきたのは、なんだかんだ結局、1年生の頃を乗り越えた時からずっとずっと同期に対する好きという気持ちが途切れてなかったからなんだろうなと気づきました。(たぶん、死ぬほど同期が嫌いになっていたらとっくに部活を辞めていただろうなと思います。)

 

うまくいかなかったこと、失敗してしまったこと、不甲斐なかったこともたくさんありましたが、たくさん支えてもらって引退目前の今日までやってくることができました。
正直、振り返ると、辛いことと楽しいことは半分ずつくらいだったかなあ。
でも、4年前に柔道部に入部する選択をしたことは決して間違いではありませんでした。
柔道部に入ったからこそ、考えることができ、いろんな感情に触れて、経験を積み、そして何より幸せを感じることができました。

 

私は柔道部のマネージャーになることができて良かったと、今心からそう思います。

 

同期へ
やっぱりみんなの乱取り(同期同士とかの)を見るのが1番興奮したし、試合もみんなの試合を観れるのが1番楽しかったし、これは贔屓かもしれないけどみんなの戦ってる時が1番かっこよかったと思います。
きつい言い方とかしちゃった人、ほんとにごめんね。
引退したら、当たり前に見ることができたみんなの練習してる姿も表情も見れなくなってしまうと思うと、割と、かなり、寂しいです。
だから、早慶戦、誰よりもみんなのこと目に焼き付けて終わりたいと思います。
ラスト頑張ろうね、応援してます。
長い柔道人生、終える人は、本当に本当にお疲れ様でした。
続ける人は、いつかどこかでその闘う姿が見れたらいいな。ずっと応援してるよ。
みんなのことが大好きです。

 

先輩方へ
温かく受け入れてくださりありがとうございました。
優しくて強い先輩方が本当に、心から大好きでした。
先輩方の存在が3年生までの期間、私の大きな大きな心の支えでした。
大変お世話になりました。

 

後輩へ
元気で明るい笑顔を見て、可愛いなあと思っていました。
これから先、何かしら悩んだり辛いなーと思うこともあるかもしれないけど、
誰かしら味方がいるはずなので、頑張って探して仲間を見つけてください。
あと、終わる時まで頑張ってみると、大体は、よかったな、楽しかったなで終われると思います。

 

マネージャーへ
いつも仕事頑張ってくれて、本当にありがとう。
力になってあげられたかは分からないけれど、みんなは確実に私に力をくれました。
入部してくれてありがとう。ここまで続けてきてくれてありがとう。
決して無理はせず、自分のペースで進んでください。
大好きだよ。

 

家族へ
本当にどうにもならないほど辛い時、いつも近くにいてくれてありがとう。
いつも心を支えてくれてありがとう。
他者に対する愛情とか優しさとか、ママもお兄もすごく深いから、
その中でここまで育ててもらえて本当に幸せでした。本当にありがとう。

 

 

最後になりますが、柔道部に日頃より多大なるご支援ご声援を寄せてくださる全ての皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。至らない点も多くご迷惑やご心配をお掛けしてしまうことも多々あったと思いますが、温かく見守ってくださりありがとうございました。
今後とも塾柔道部への変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い申し上げます。