こんにちは、4年の今野です。

僕がこの部員日誌を書くのも今日で最後となります。

正直何を書けばいいのかとても悩みました。悩んだ結果、僕の柔道との出逢いや僕自身について振り返ってみたいと思います。

まず最初は僕の柔道との出逢いです。

結論から言うと、柔道は兄の影響で始めました。幼稚園の頃はとにかく野球や走ることが大好きで毎日のように実家の前の公園で近所の友達と遊んでいました。また野球は僕の祖父が大好きだったので、暇があればキャッチボールをし、僕から祖父を誘ってすることが多かったです。なので幼稚園の頃は柔道とは全く無縁で、なんなら将来は野球選手を目指していたのかもしれません。

兄は僕とは全く別で、すごい遊んでいたかと言えばそうではなく、キャッチボールのセンスも正直ありませんでした。当時は走るのも僕より遅く、運動があまり得意ではなかったと思います。しかし、小さい頃はどんなことでも兄の真似をして、兄に付いていって、とにかく離れませんでした。

そして小学校に入学し、僕が1年時、兄が3年生でした。僕の通っていた小学校はスポーツ少年団という所謂スポ少活動がとても盛んで野球も入学当時全県大会で優勝するほど強かったです。

そこで兄は色々な球技に挑戦しますが、正直親に言われてしまうくらい球技センス0。体型も少しぽっちゃりで運動音痴って感じでした。そこで祖父に提案されたのが柔道だったのです。そこから何度か練習に見学に行き柔道を始めました。上で書いたのですが、僕は当時兄にずっとくっついていたので、勿論見学に一緒に行っていました。そして兄が柔道を始めると直ぐに「僕もやる」というように母親に言い、学校の先生にも言って、僕の柔道人生がスタートしました。

小学時は、始めた時は楽しかったのですが、学年が上がるごとに柔道が嫌になっていったのを覚えております。地元の強い道場に行った時も、ボコボコにされまくり、そこで泣くと竹刀にテーピングを巻いたやつで先生に頭を叩かれていました。また試合でも負ければゲンコツを毎回もらい、家で泣いていました。当時は柔道がこんなにもキツく痛く精神的に参るような競技だとは思いもしなかったです。

柔道を始めて5年、小学6年の時に初の全国を決め、個人・団体共に秋田県の代表として出場しました。日整と呼ばれる団体戦に出場し、秋田県はたしか二回戦か三回戦で神奈川県と対戦しました。その時の神奈川県のメンバーが僕の同期の織茂と現2年の秦でした。そして監督が朝飛先生です。大学に入学して両親に言われて気づきました。世の中狭いというか、これも何かの縁なのかもしれません。

中学では全中ベスト8という結果を残し、塾高からのオファーもありました。一度練習に参加したのも今でも覚えています。特に印象に残っているのが、林郁磨先輩の筋肉がヤバいってことでした。高校生になったらこんな身体になるのかと。

そんな話は置いといて、僕が慶應という学校を知ったきっかけがその時でした。

そして秋田高校入学後、慶應大学を視野にいれながら頑張り、結果としてAO入試で合格。

今でも入学式のことを鮮明に覚えているくらい4年間があっという間に過ぎましたが、多くの先輩後輩に囲まれながら大学柔道に専念することができました。最後の2年はコロナウイルスに直面し、両膝の前十字靭帯断裂という怪我とも闘いました。

ここまで柔道を頑張ってきて本当に良かったと感じております。柔道が自分自身の人生を大きく変えてくれたこと、成長させてくれたことは間違いないです。そして慶應義塾體育會柔道部で活動できたことをとても誇りに思います。

そんな約16年、僕の全青春を費やした柔道人生も12/12で一度引退となります。

我が柔道人生に一片の悔い無し、そう思えるよう最後の最後まで精進致します。