ご無沙汰しております。3年の細谷です。先日誕生日を迎えまして21歳になりました。祝って頂いた方、ありがとうございます。21歳は粋で優しいバカになれるように、酒は飲んでも飲まれないように、身の回りの人を大切にしながら程々に頑張っていきます。

現在絶賛挫折中でございます。肩の慢性的な怪我で自分の得意技である背負い投げが思うように掛けれません。今まで怪我はそれ程してこなかった柔道人生で、それ程大きな怪我ではないといえども自分の生命線が断たれた感覚を覚え、辛いです。南雲も重大な怪我の手術を終え、本当に辛いと思いますが、それでも前を向いている彼は改めて凄いなぁと感じますし、寂しいので早く帰ってきて欲しいです。僕も下を向いていても仕方が無いのでこれは神が与えてくれた上のステージに行くための試練だと思い、技の幅を広げていきたいと思います。

「親に授業料を払って貰っているのに授業に行かないのはおかしい」。これは先日後輩が言っていた言葉であり、私も初心に帰った気持ちになりました。これを踏まえて今回は大学でも学びに関して持論を展開したいと思います。

大学では何の為に学ぶのか。これに関してまず考えます。中学校から高校、高校から大学に向けて、一般教養全般から文系理系、そして専門分野へと学びの幅は狭くなっています。大学でなぜ学部という形で学びが限定されるのか、それはその学部という限定された学びのフィールドで深く学んだことを基にどう社会に貢献していくのかが肝になるからであると考えます。これが大学で学ぶべき目的です。

法学部であれば法律を学んでそれを将来に活かす。では私は法律家になるわけでもないのに法律を学んで将来的にどう活きるのか、ずっと疑問に感じてきました。最終的に私は結論として法律は対話力、課題解決能力を養うツールであると考えます。学部という限定された学びでは当然中学校、高校と違い、学問を突き詰める作業が必要になります。法律を突き詰める作業では当然深い思考能力が必要となり、それは中学高校のような受動的な学びでなく、能動的な学びとなります。そして、法律を突き詰める能動的な学びでは自己の思考だけではなく、他人と議論をしたり、意見を交わしたりして思考の精査をする事で法律に対する理解が深まり、その本質に迫ることが出来ます。

この学問に対する理解を深めるプロセス、これこそが大学での学びそのものであると考えます。学問というツールを用いて自分の思考を深め、他人と対話、議論をする事で更に思考を深め、本質に迫る、これは課題があり、それに対する自己の深い考えを持ち、それを他人と議論する事で精査し、課題解決に最適な手段を見つけるという社会人として必要な思考方法と=であると言えます。

その為、個人的な見解としてインプットだけの授業はそれ程価値もなく、行く必要も無いのではないかと考えます。(偏った意見)ごめんね後輩ちゃん。。

最後に。この大学での学びの最も最適な場所が體育會柔道部です。これが言いたかったです。部活をどうしたら良くできるか、どうしたら早慶戦で勝てるチームになるのかを各々が考え、それをミーティングなどで議論し、意見をまとめ、それに向かって邁進し、また問題が起きたら議論をして修正する。これは全員が體育會を全てにおいて第一に生活をしているから成り立っているのであり、體育會活動で社会人になる上での学びは正直簡潔すると考えます。力量が現在低い、他にやりたい事があり、不安に感じている人にも僕はそれを十分理解した上で體育會こそが大学の本質で学びの結晶であり、最も大きな自己成長、他者貢献環境であると言いたいです。だから全力で日々の練習に励んでいきましょう!

僕の今年の部員日誌もこれで終わりですね。来年もよろしくお願いいたします。

おわり