こんにちは。

お部屋に生けているお花の水が少しずつ、しかし確実に減っていることに気が付き、草木の美しさ、そして終わりが近づくことの儚さに心を動かされた五十嵐です。“おわりを意識しだすと急に、対象に対しての愛が芽生え、そして虚しくなるのは私だけでしょうか。

まず初めに、皆様のおかげで無事就職活動が終了しました。この場をお借りして、改めて心より感謝申し上げます。内定をいただいたのは大分前ですが、先日内定式を終え、一つ区切りのついたこの時期にこの場をお借りしてお伝えさせていただきたいと思います。就職活動の中で塾柔道部の先輩方から温かいお言葉をいただき、自分と向き合い、納得する進路を切り開くことができました。私も後輩達に同じように接していくことで恩返ししていけたらと思っております。

 

さて、話は変わりますが、102日に行われたキングオブコント(コント日本一を決める大会:以下KOC)が素晴らしかったという話題を僭越ながら、つらつら語らせていただこうと思います。

昨年までの審査員5名をほぼ入れ替え、より現役世代に近い歴代KOC王者を新たに審査員として迎え入れた今大会は、過去最高とも言われるほどの素晴らしい幕切れでした。

今大会で注目されたのはファイナリスト10組のネタもそうですが、審査員達の得点の付け方です。審査方法としては審査員5名が持ち点100点をそれぞれに採点する方式が取られています。以前までは準決勝で敗退した芸人達が採点するという方法がとられていた時期もありますが、所謂忖度が横行する可能性が危惧されたため、より公平性を記すためにこの方式に落ち着きました。

今大会の何がすごいって5人の審査員のつけた点数の標準偏差がほぼ同じ、かつ10組につけた最高点と最低点の差は8点で全員同じなのにも関わらず、それぞれの審査員が違う嗜好で点数をつけているというところです。つまり、審査員それぞれ極端なばらつきはないまでも、各々が大事にする軸は持ち、それに伴った評価を下した上で公平な審査が行われたということです。

コントという漫才よりも自由度の高い表現ができる=一律の基準で測りづらいものを、ある程度の基準である共通の認識は持ちつつ、それぞれの個性を持ち合わせた審査員がそれぞれの自分の面白さの物差しで照らし合わせ、評価した結果がこうさせたのだと思います。

 

「お笑いは今まで何もいいことがなかったヤツの復讐劇なんだよ」

この言葉はウエストランドというコンビが2020M1決勝の漫才中に放った言葉です。先に言っておきますが、これは全ての芸人さんに当てはまる言葉では無いとは思います。しかし、中には暗い学生時代を過ごした、いじめられていた、と明言する芸人さんは多くいます。そして、かなりの数の芸人さんは復讐とまでは言わなくても、芸人を志したり、続けるきっかけを「誰かに対して恨みや嫉妬、妬みを感じていた過去があり、周囲の人を見返えしたい」という想いをもっているということを明かしています。

私自身いじめられることなく平凡な人生を歩んではきました。しかし、ふと自分にとっての何かに向けて行動を起こすための力、所謂原動力ってなんだったんだろうと考えた時に、それは嫉妬や妬みをエネルギーとした自己の証明だったということに気がつきました。周囲の人間に対して、嫉妬し妬み、「見返したい」と強く思い、そして自分の存在をここに証明したいという思いが少なからず、あったのだと思います。

多くの人は何か行動を起こそうとした時、その原動力を誰かのためにとか、社会をよくするとか、そのような回答が思いつくと思います。たしかに間違いないし正しいですし、私もそういう想いを持って行動を起こします。

しかし、私はどこか心の中で違和感を覚えていました。確かに、誰かのために頑張りたい、そんな想いはあるもののそれが全てではない気がしてたまらないのです。

そしてその正体はつい最近明らかになりました。それは私は誰かのためだけに行動を起こしていたのではなく「自分のため、自己の証明」を原動力として動いていたことでした。就職活動を通じて、私が今まで感じていた違和感ってこれだったのか、と腑に落ちた瞬間でした。

今まで、何かをする目的や成し遂げる目的は、誰かのためでなければならないと思っていました。それも大事なことです。しかし、別にそれだけでなくてもよくて、少しは自分のために、自分の満足のために、自分を証明するためという想いで動いてもいいんだなと芸人さんの言葉や自分を振り返る中で気がつきました。

そしてきっと、これから先いつかいろんなことをたくさん経験していろんな守るべきものが増えて責任が増えた時に、ようやく誰かのためにという想いを一番に持って行動できるようになるんだろうなとも漠然と思いました。

 

最後にひとつ、今回、優勝した空気階段というコンビのコメントの中で「僕らにはコントしかなかったんで」という言葉が印象に残りました。何か一つ、これしか無いと思えること、そう強く想いそして大勢の前で胸を張って言える、私もいつかそういうものを身につけたいものです。

 

私が毎週聴いているラジオのパーソナリティが「伝えたいことは短く‼︎」と熱弁していたのですが、今回もまた少し長くなってしまいました。だから、伝えたいことが多くて逆に何も伝わらない現象が起こってしまうのでしょう。

しかし、こんな私の頭の中を整理して書き残すことができる部員日誌も残りわずか。

そして、いよいよ久しぶりの試合も控えています。

ラスト思い残すことや少しでも未練が残らないように、柔道を通じて”自己の証明”ができるように、納得して一つの“おわりを迎えることができるように頑張りたいと思います。