お世話になっております。3年の細谷です。本日も張り切って部員日誌を書いていきたいと思います。

今回は新入生、留学生に関してと当たり前の事に関して書きたいと思います。

新入生は【大月】に関してです。彼は私と杉村先輩が住む”一番キレイと言われている”2号室に入寮しました、おめでとう。彼の最初の1週間を経て感じた点としてはめちゃめちゃ真面目です。僕は履修案内の冊子をあれ程熟読している慶應生を未だ見た事がありませんし、毎朝6時頃にアラームをかける寮民も見た事がありません、目覚めるかどうかは別として。これはオモシロ真面目な一面です。一方で入寮して1週間で体重が3キロ程増えた事、ブランクがあると思うから乱取りは自分のペースで良いよと言っても毎日乱取りしていた事からも本当に真面目で尊敬できる側面があります。彼から沢山の事を吸収したいと思います。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

留学生としては【タイス】が慶應の練習に合流しました。タイスは私が高校2年時に大学で練習していたオランダからの留学生です。ですが、あの頃のタイスはもういません。漫画のような身体をしています。めちゃめちゃかっこいいです。タイスは昔慶應に来ていた際に共に練習したOBの先輩方に会いたいと言っていました。昔のタイスだと思って乱取りをしたら大変な目に遭うかもしれませんが、2週間後まで慶應で練習しているのでお時間がある際に来ていただければ幸いです。

 

最後に【当たり前】に関してです。「当たり前」。この言葉は誰かを説く際に言う事もあれば説かれる際に言われる事もあります。「当たり前に考えればわかるだろ。」のように。こう考えると「当たり前」は人によって異なるものに見えます。それもあってか、「当たり前を疑え」と言った言葉を最近よく耳にし、書店の啓発本などにもそれが如何にも素晴らしい事のように書いてある事が段々増えていると個人的に感じています。

個々からは完全に私の思想の比重多めで書きます。「当たり前は何十年とそれが良い方向に作用してきたから当たり前になったのである」という事。この点を勘違いしている人が多いのではないでしょうか。上っ面しか見ていない、その背景、歴史、意義を考える事無く批判するのは全く的を得ていません。変化するべきと言うのであればその考えを当たり前を呼ぶまでに歩んできた先人達全員が納得出来る理由を提示するべきです。あと、発言に重みを持たせる為には日頃の信頼が最も大事なのは言うまでも無いと思います。

それが組織の当たり前であれば尚更です。私は個人が己の人生を経て生み出された当たり前は独りよがりである可能性も否定出来ない為、当たり前を疑う事もあっていいと思います。しかし、組織であれば少なくともその時代時代の多数が妥当だと考えてそれが当たり前となっています。ここから私の考えですが、組織の当たり前に批判を言う際には言う前に「自分が異常なのではないか」と疑って然るべきです。批判をする自分の視点が独りよがり、又は自分の偽善心によるものではないか検討すると、、私はその個人が「異常で誤り」という結論になる事が殆どだと思います。

以上「当たり前」に対する思想は私が21年間生きてきて得た「当たり前」でありました。

 

おわり