こんばんは。
4年の小野佑眞です。
最近は猛暑や雨など、天候が不安定な日々が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

塾柔道部は、春学期期末試験と帰省期間が終わり、心機一転、夏休みという名の柔道三昧の生活に突入しております。
六徳舎では、留学生のオスカーを中心に、既に英語が公用語になっており、勉強の毎日が続いております。

そしてなんといっても、今年は、8/12〜8/19の間、7泊8日という「とんでもない」スケジュールで「戸狩合宿」を行わせていただく予定です。
3年ぶりの開催となるため、部員一同、戦々恐々としておりますが、夏の強化週間としてさらなる成長ができるよう精進いたします。

そこで、今回は、私にとっての「戸狩合宿」について、簡単に述べさせていただきます。思い出すだけで懐かしいです。

 

〜高1〜
私と戸狩の出会いは、2016年の夏でした。人生で初めて、全国クラスの強豪部活に所属し、迎えたはじめての夏。
出発前から、先輩方が「萎え。」「デリートしたい。」などと仰っており、その恐ろしさを緊緊と感じていましたが、一方で、少し楽しみにも感じていました。
元々集団行動が好きな私は、「部員全員で同じ宿に泊まり、山に行き、朝は柔道をし、午後はゲレンデを駆け上がる」、そんな非日常な体験もなかなか面白そうではないかと思っていました。

いざ行ってみると、、ええ、地獄でした。シンプルに地獄がたくさんありました。

地獄①は、「柔道」でした。当時、ほぼ初心者であった私は、ただただボコボコにされまくっており、道場にいるすべての人が怖かったです。特に、某大学の学生には、大外刈で投げられ腹に思いっきり乗られるという、所謂「陰険」をたくさんされました。今思えば、遅すぎる柔道界の洗礼を受けていたのだと思います。(あいつだけは絶対に許しません。)

地獄②は、「ラントレ」でした。大外周と言われる約8kmの山道を走り回るラントレですが、最高にタフでした。元々走るのが遅かった私は、とにかく苦労し、先輩方が視界にあることはまずありませんでした。

極めつけは、鏑木先生がお迎えに来てくださったことです。合宿中盤にて、当時同期の吉田豪と復路を走っている際、遅すぎて周りに人がいなくなり、道に迷い、日が暮れ始めました。疲労も困憊で流石に焦っていたその時、黒いマグナム(当時の鏑木先生のお車です)が、こちらに走ってき、一命をとりとめました。夕日が映える道場の畳を背に、「柔道は弱くても、ラントレだけは頑張れ。根性だ。」と言われたあの瞬間は今でも忘れません。そこから吉田豪はみるみる足が早くなったのに対し、私はあまり変わらなかったのは内緒です。

地獄③は、「食事」でした。当時、体重60kgほどであった私は、食事の時間でも追い詰められていました。ゲレンデの坂くらいの傾斜を直滑降のスピードで減っていく体重に対し、無理矢理にでもそれを上回ろうとする苦行です。とんでもない贅沢ではありますが、あの時ばかりは100回くらい吐き出しそうになっていました。鏑木先生におかずをいただき(盛っていただき)ながら、当時同期の森井や田村とともに鬼エグリし、その時、来年の戸狩には絶対に「ふりかけ」を持ってこようと決心しました。吉田豪が全然エグられなかったのは今でも解せません。

ただ、当時の私の地獄は、本当の意味での地獄ではありませんでした。なぜなら私は知っているからです。重量級グループの選手たちの「狂気」を。トピアホールでの「悲劇」を。(以下省略)

また、地獄の他にも印象深かったのは、先輩方の背中のデカさです。
稽古とラントレが終わり、生まれたての子鹿ように震える足を使いながら宿の階段を登り、見上げた先にあったのは、日体大荏原高校の藤原崇太郎先輩とハンガル先輩が上裸で笑いながら話している姿でした。
こんなにもキツい合宿で笑う余裕があり、楽しそうに談笑している先輩方を見て、「自分も2年後にこんな風になれるのだろうか」と静かに思い、帰宅して父親に自分の武勇伝のように話したのもいい思い出です。
あと、背中が物理的にめちゃくちゃデカかったです。

 

〜高2〜
高校2年生の戸狩は、人生で初めて血尿が出ました。夜に眠い目を擦りながら用を足したら、目の前が赤く、叫びながら部屋にダッシュで帰りました。怖かったです。
ただ何故か一抹の達成感もあり、少し嬉しかったのは、私がおかしいからでしょうか。否、おかしくなっちゃってたのでしょうか。
(続きはほとんど覚えていないので書けません。山道で鏑木先生の車に追いかけ回されたのだけは覚えています。怖かったです。)

 

〜高3〜
高校3年生の戸狩は、後輩に飯を盛りまくるくらいには少しだけ余裕が生まれていました。その後輩はなぜか泣いていましたが、今となってはいい思い出です(ね?)
かくいう私は体重が80kgに達し、2年間+20kgを達成しました。嬉しかったですが、ラントレがめちゃくちゃきつかったです。
柔道では、相変わらずあまり太刀打ちできませんでしたが、陰険な大学生に(たまに)立ち向かうくらいの度胸はついてきていた気がします。

一番面白かったエピソードは、オフの日の午後に行った寝技の講習の際に、同期の森井が後輩の南雲に落とされて、いびきをかいて寝始めたことです。
みんなが見ている緊迫した講習にて、いびきをかき始めた時は流石に爆笑しました。鏑木先生の「森井くん、寝ちゃったのか!」は最高でした。辛い日々の中での、束の間の笑いとでも言えるでしょうか。

 

〜大1〜
大学1年生の戸狩では、肩鎖関節を脱臼してしまい、ラントレしかすることができず歯痒い思いをしました。
一方で、大学生の戸狩を体感することができ、新鮮でした。日頃お世話になっている先輩方への近況ご報告や先輩方の稽古時間外の過ごし方など、少し離れた視点から戸狩合宿を感じることができました。

 

〜大2・大3〜
コロナ禍のため中止。

 

と、誠に勝手ながら、高校1年生から大学1年生までの「戸狩合宿」を振り返らさせていただきました。
この日誌を書いているまさに今、その恐ろしさを緊緊と思い出しております。高校生や大学1年生の頃に比べれば、身も心も成長しているはずですので、怪我には気をつけて、精一杯走り抜けたいと思います。

 

また、戸狩合宿を計画するにあたって、新しい発見がありました。
それは、主務として笹野監督や鏑木先生、日体大の主務の方とやり取りをする中で、この合宿は相応の準備があって成り立っているという発見です。
今まで当たり前に乗っていたバスには数十万円の費用がかかっていること、当たり前に泊まっていた宿は現地の方のご尽力のおかげで滞りなく運営されていること、大学への申請や保護者の方々へのお手紙の作成、費用の計算、事故時の対応など、様々な方々の様々な準備のおかげでこの合宿は成り立っていることに、改めて気づかせていただきました。

ハードで思わず帰りたくなる合宿ですが、現地の宿の方や監督、保護者の方々への感謝の気持ちを忘れずに、修行に励んでまいる所存です。ありがとうございます。

 

ここまでツラツラと述べさせていただきましたが、この「戸狩合宿」は、泣いても笑っても私たち4年生にとっては、最後の「戸狩」であり、最後の「合宿」です。
来る東京学生個人や尼崎、早慶戦で結果を出せるよう、部員全員で強くなって帰ってこれればと思います。

先輩方におかれましては、現地からの近況ご報告をご覧いただき、部員の奮闘を感じていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

 

最高の思い出になるよう、1日1日を大切に頑張ります。

 

以上!!