こんばんは。三年生の長峯です。

先日、僕にとって衝撃的な出来事がありました。小学一年生からの友達に彼女ができました。異性と付き合うことは絶望的だと言われていた彼にいったい何が!?本人に聞いたところ、花火に行った帰りに告白したとのことです。小賢しいことに、どうやらほんまでっかTVで成功率が高いと言われていたシチュエーションを作り上げたらしいです。

『まあうまくいきましたよ笑(本人談)』

イラっとしましたね。

というのは冗談でして、凄まじいカチりを受けながらも僕の心情としてはとてもうれしかったです。今までの彼を見ていると、告白という行為は一生しないのではないかと思っていたので、勇気を出して一歩踏み出したということに感激しました。

しかし、そのような嬉しさを感じると共に、焦りや寂しさという負の感情が起こったのもまた事実です。焦りというのは、自分は彼の心配をしている場合ではないぞ、というものです。彼が大きく前進したのに自分は立ち止まったままであるというこの焦り…また寂しさというのは、同窓会で久しぶりに会った友達が派手にデビューしているときのあれに似ています。さらに僕にとって運の悪いことに、丁度その時、ある大恋愛もの漫画を読み終えたばかりであった僕は胸のあたりにぽっかり穴が開いてしまっていたので、悪い要素が重なり寂しさが増幅されてしまいました。そして新たなる慰みを求めて僕が手にしたのは「秒速5センチメートル」、知る人ぞ知る鬱アニメです。本当にやってしまいました。少しネタバレになりますが、ハッピーエンド説もあるこのアニメでですが、少なくとも僕はハッピーな気分にはなれませんでした。ハッピーエンド説では「主人公の最後の笑顔は過去を振り切った前向きな微笑みである!」という主張がなされます。ハッピーエンド説の論拠としてこれが正しいかはわかりませんが、監督は鬱アニメのつもりではつくっていないと断言しているそうです。しかし、見た人が実際にそう感じるかは別の話でして、僕に関していえばかなり落ち込む結果となりました。そもそもこのアニメは主題歌である山崎まさよしさんの「one more time, one more chance」をもとに作られている気がします。だから最後「踏切あたり」で主人公が笑ったのは「こんなとこにいるはずもないのに」という自嘲的な笑い顔だったのではないでしょうか。

 

ところで、かつて高校を卒業したときに、自分はあまり青春しなかったなと考えたことがありました。中学生のころにもっと恋愛したりあるいはちょっとした火傷をしても良かったのではないか、自分は毎日が同じことの繰り返しで野球しかしてこなかったなと悔やみました。しかし少し見方を変えれば、仲間と日々汗を流した野球そのものが青春だったではないかと確信できることに気が付きました。

今回友達に彼女ができたことで自分も恋愛したいなと思ったところ、かつてと同じく青春について考えました。今の自分にとっては青春は柔道であって欲しいです。しかし柔道を青春というには量・質ともに完全に不足していると思います。これからまだまだ頑張らなくてはいけないなと身が引き締まる思いになれました。

今回はこの辺で失礼します。