こんにちは、佐藤です。特に意味はありませんが太字にしてみました。どちらのほうが読みやすいでしょうか?

今回も部員日誌更新が遅れてしまいました。ちなみに申し上げますと僕の部員日誌の更新日は8日前。決して忘れていたというわけではなく、携帯のリマインダーも付けていたのですが、面倒くさいと思ってしまって テスト勉強やレポートに追われるあまりついつい先延ばしにしてしまった次第であります。申し訳ありません。テストももう終わり、あとはレポートを書くのみですのでもう少し頑張りたいと思います。

さて、最近柔道部に対して思うことがあります。それは柔道部における他人に対してのギャグへの対応が非常に厳しいのではないかということです。ここで、誰かがギャグを言ったときの柔道部員の対応を挙げてみましょう。

1.無言

想像してみてください。みんなを笑わせておいしい思いをしたいという一心で放った渾身のギャグ。誰か笑うどころか全員無表情で言葉を発さない。地獄といえるでしょう。

2.「もう一回言って?」「今の、説明してもらってもいい?」

発したギャグをもう一度言うことを求められ、挙句のはてにはギャグの説明を強いられる。恥ずかしいことこの上ない、まさに地獄ですね。

3.「し、し、○ね。」

これは誰かのギャグというよりも特定の部員が理解不能の言語を発した際に周囲から巻き起こる大合唱ですが、「つまらぬ者には死を」という現在の塾柔道部における悪しき理念のすべてを物語っているものといえます。

(以上、批判的に示しているわけではありますが、僕自身、つまらないギャグを言った者に対してこのような対応をとる一人です。陳謝。)

このことに関してほかの部員に聞いてみたところ、このようなギャグ対応の厳しさが部全体のギャグのレベルの向上につながっているというものでした。なるほど、確かに一理あるかもしれません。しかし僕が思うに現実としてレベルの高いギャグをコンスタントに言える部員はほぼ皆無であり、部員たちも先にあげたような「吊し上げ」を恐れて安易にギャグを言おうとはしなくなっています。部の中で笑いが起きるのは主にトーク(大部分が下ネタ)による場合が多いのです。

つまり、柔道部のこの状態はギャグのレベルを決して向上させるものではなく、むしろギャグそのものを絶滅させることにつながっているといえます。

ここで一つ疑問が生まれます。このことは果たして解決しなければならない問題か?ということです。この問題そのものが矮小かということではなく、ギャグが果たして必ずしもなければならないものなのかということです。社会に出ればしょうもなさのあまりに笑ってしまうようなギャグよりも、様々な場面に応じて会話の中の洗練されたユーモアのほうが求められる機会が増えます。

こういった柔道部におけるギャグへの厳しさは、今思えばしょうもないギャグで爆笑が起きていた中学・高校時代からより厳しく洗練された会話の中のユーモアが求められる現実の社会へと私たち部員を成長させてくれるものなのかもしれません。(部員同士の会話の大半が下ネタであることは置いといて。)

ただ、怪物小田島やマネージャー内田といった他を圧倒する笑い声をあげ、かつ一瞬で笑顔になる笑い上戸の一年生の存在も思い出し、もう一度ギャグについても再考する価値もあると思ったところでそろそろ眼精が疲労してきたので、このくらいで失礼いたします。

次回はもう少し有意義な部員日誌を書きたいと思います。。。